24時間テレビ過去のマラソンランナーまとめ!走行距離と結果や年齢は?

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24時間テレビ

今年も24時間テレビのマラソンランナーが誰になるのか話題になっていますね。

24時間テレビのチャリティーマラソンって今年で28回目と長い歴史があるのはご存知でしたか?

そこで今回は

・過去のマラソンランナーってだれ?

・マラソンランナーの年齢は?

・それぞれのランナーの走行距離はどのくらい?

・みんな時間内にゴールしてるの?リタイヤした人はいる?

などといった気になることについてお伝えしていきます!

24時間テレビ過去のマラソンランナーまとめ!

第1回から昨年の第27回までの24時間テレビのマラソンに挑戦した有名人をまとめました。

※第〇回は24時間テレビの放送回数です。

第15回(1992年)からチャリティーマラソンがスタートしました。

第15回 1992年:間寛平

第1回となる24時間テレビチャリティーマラソンの初代ランナーは間寛平さん。

当時43歳。

この時は新潟県の苗場プリンスホテルからのスタートでした。

 

第16回 1993年:間寛平

当時44歳。

 

第17回 1994年:ダチョウ倶楽部

当時の年齢は 肥後克広:31歳

       寺門ジモン:31歳

       上島竜兵:33歳

 

第18回 1995年:間寛平

1995年は3回目の間寛平さん。

当時46歳。

第19回 1996年:赤井英和

一般参加者600人とリレーマラソンという形で、赤井英和さんが最終走者でした。

当時37歳。

 

第20回 1997年:山口達也

ジャニーズ初のランナーです。

当時25歳。

 

第21回 1998年:森田剛

2年連続で、ジャニーズのアイドルがランナーを務めました。

当時19歳で、単独ランナーでは最年少です。

 

第22回 1999年:にしきのあきら

当時50歳。

 

第23回 2000年:トミーズ雅

当時、40歳。

 

第24回 2001年:研ナオコ

女性で初のランナーです。

当時48歳。

第25回 2002年:西村知美

当時31歳。

第26回 2003年:山田花子

当時28歳。

第27回 2004年:杉田かおる

当時39歳。

 

第28回 2005年:丸山和也

当時、弁護士をされていた丸山和也さん。

当時59歳。

 

第29回 2006年:アンガールズ

コンビ2人での挑戦となりました。

当時の年齢は 山根良顕:30歳

       田中卓志:30歳

 

第30回 2007年: 萩本欽一

当時の年齢は66歳で、はじめての60代のランナーです。

第31回 2008年:エド・はるみ

当時44歳。

第32回 2009年:イモトアヤコ

当時23歳。

ゴールは東京ビッグサイトでした。

 

第33回 2010年:はるな愛

当時38歳。

 

第34回 2011年:徳光和夫

24時間テレビといえば、徳光さんという感じでしたが、ついに走る側に挑戦!

当時70歳で、現在も最高齢のマラソンランナーです。

 

第35回 2012年:佐々木健介・北斗晶ファミリー

史上初の家族4人でリレーマラソンに挑戦!

 佐々木健介:46歳

 佐々木健之介:13歳

 佐々木誠之介:9歳

 北斗晶:45歳

 

第36回 2013年:大島美幸

当時33歳。

 

第37回 2014年:城島茂

 当時は43歳。

 

第38回 2015年:DAIGO

「47都道府県 想いをつなぐたすきリレー」と題して、リレーマラソンの最終ランナーでした。

当時37歳。

 

第39回 2016年:林家たい平

当時51歳。

 

第40回 2017年:ブルゾンちえみ

史上初の放送当日にランナーが発表という、驚きの発表でした。

当時27歳。

 

第41回 2018年:みやぞん

この年は史上初トライアスロンに挑戦というかなり過酷なものでした。

当時33歳。

マラソンランナー最年長と最年少はだれ?

24時間テレビの最年長は2011年の徳光和夫さんです。

当時70歳ということで、走行距離も体力にあわせて短くなっていました。

そして、ランナー最年少は佐々木健介・北斗晶夫妻の次男・誠之介くんの9歳という記録があります。

ただ、単独ランナーということであれば最年少は森田剛さん(19歳)です。

みんなの走行距離はどのくらい?

24時間マラソンの走行距離は100キロが基本です。

20時間あれば、1時間5キロのペースで走れば、完走することができます。

ゆっくり歩くと1時間4キロ、ウォーキングなどで早く歩くと1時間6キロぐらいです。

走行距離はランナーの体力によって決められています。

第15回 1992年:間寛平 153km

第16回 1993年:間寛平 200km 

(放送時間内に走ったランナーでは最長距離)

第17回 1994年:ダチョウ倶楽部 100km

第18回 1995年:間寛平 600km

第19回 1996年:赤井英和 100km

第20回 1997年:山口達也 100km

第21回 1998年:森田剛 100km

第22回 1999年:にしきのあきら 110km

第23回 2000年:トミーズ雅 150km

第24回 2001年:研ナオコ 85km

第25回 2002年:西村知美 100km

第26回 2003年:山田花子 110km

第27回 2004年:杉田かおる 100km

第28回 2005年:丸山和也 100km

第29回 2006年:アンガールズ 100km

第30回 2007年: 萩本欽一 70km

第31回 2008年:エド・はるみ 113km

第32回 2009年:イモトアヤコ 126.585km

第33回 2010年:はるな愛 85km

第34回 2011年:徳光和夫 63.2km

第35回 2012年:佐々木健介・北斗晶ファミリー 合計120km

4人(500m)→健介(61.6km)→健之介(6km)→誠之介(4km)→北斗(47.9km)の順に走行。 

第36回 2013年:大島美幸 88km

第37回 2014年:城島茂 101km

第38回 2015年:DAIGO 100km

第39回 2016年:林家たい平 100.5km

第40回 2017年:ブルゾンちえみ 90km

第41回 2018年:みやぞん 

合計161.95km スイム(1.55km)→バイク(60.4km)→ラン(100km)

第18回(1995年)は阪神・淡路大震災がありました。

この年のランナー・間寛平さんも自宅を失っており、被災地の復興を願うため、神戸市内から日本武道館までの約600kmを1週間かけて走りました。

寛平さんは「被災者のみんなに勇気を与えたかった」とのこと。

昼間は体力を奪われるため、放送日前日までは基本的に夜間のみ走っていたそうです。

ゴール時間やリタイアなど結果は?

基本的にはテレビ放送がはじまってスタートして、放送終了直前にゴールします。

ですがもちろんゴールが間に合わない場合も。

24時間テレビ放送終了までにゴールが間に合わなかったのはこの5回のみです。

第19回(1996年):赤井英和

 たすきリレーマラソンの片方のルートの到着が遅れて、赤井英和さんのスタートが予定より大きく遅れたためゴールも遅れた。

第26回(2003年):山田花子

 日本武道館まで残り4kmのところで放送が終了。

第30回(2007年):萩本欽一

 日本武道館まで残り700mのところで放送が終了。

第32回(2009年):イモトアヤコ

 ゴール(東京ビッグサイト)まで残り1kmのところで放送が終了。

第36回(2013年):大島美幸

 日本武道館まで残り2kmのところで放送が終了。

またリタイヤは第15回(1992年)間寛平さんだけです。

この時は初回ということでが事前に出発地や武道館までの経路が公開されていました。間寛平さんを一目見ようと道路に人が殺到し、走路を塞がれてしまったためリタイアすることになりました。

これ以降、コースについては公表されていません。

まとめ

2019年で28回目となる24時間テレビのマラソン。

たくさんのランナーが走っていて、トライアスロンや、リレー形式などコースもさまざまです。

振り返ってみると、歴史がある番組なのがわかりますね。

今後はどのようなランナーが登場してくるのか注目です!

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